2025年現在、キングカズこと三浦知良さんは58歳という年齢で今なお現役のプロサッカー選手として走り続けています。
ここまで長くプレーを続けるだけでも異次元ですが、実は若い頃のカズさんは本当に凄かったことをご存じでしょうか?
今回の記事では、そんな三浦知良選手の若い頃を時系列でわかりやすくまとめて紹介します。
カズがなぜ“キング”と呼ばれるようになったのか、その原点を振り返ってみましょう。
三浦知良の若い頃①:15歳で単身ブラジルへ渡る(1982年)

三浦知良さんの若い頃を語る上で欠かせないのが、15歳で単身ブラジルへ渡った決断です。
1980年代の日本では、高校サッカーからJSL(日本サッカーリーグ)に進むルートが一般的で、海外挑戦はほとんど例がありませんでした。
三浦知良さんは中学校卒業後、「プロサッカー選手になる」という強い意思を持ち、高校進学ではなくブラジル行きを選びます。
言葉も文化も違う国で、知り合いもほとんどいない状態からのスタートでしたが、現地クラブの練習に参加しながら地道にアピールを続けていきました。
当時の日本サッカー界の価値観からすると、まさに前代未聞の挑戦であり、ここから“キングカズ”の物語が始まります。
三浦知良の若い頃②:ブラジルでプロ契約を勝ち取る(18〜19歳)
ブラジルに渡った当初、カズさんは練習生としてさまざまなクラブを回りながら、プロ契約を目指してアピールを続けました。
その努力が実を結び、18歳のときにブラジルのクラブと正式にプロ契約を結びます。
さらに翌年には、名門クラブとして知られるサントスFCにも在籍しました。
世界的名門クラブでプレーした日本人という点でも、当時としては非常に貴重な存在でした。
10代のうちからブラジルの実戦レベルで揉まれたことで、フィジカルや技術だけでなく、勝負へのこだわりやメンタル面も鍛えられていきます。
若い頃のカズさんが、日本人離れしたプレースタイルを身につけていった背景には、こうしたブラジルでの経験が大きく影響していると言えます。
三浦知良の若い頃③:複数クラブを渡り歩いた“武者修行”時代
プロ契約を果たした後も、カズさんはブラジル国内の複数クラブでプレーしながら実戦経験を積んでいきました。
リーグやクラブが変われば、求められる役割や戦い方も変わりますが、その中で結果を出し続けることで、ストライカーとしての感覚を磨いていきます。
ポジション争いの厳しさや、日々のトレーニングの強度は、日本とは比べものにならないレベルだったと言われています。
その中で生き残るために、得点感覚だけでなく、ボールキープ力や身体の使い方も身につけていきました。
この“武者修行”の時代こそ、カズさんが若い頃から世界基準のサッカーを体得していった、大きなターニングポイントだったと言えるでしょう。
三浦知良の若い頃④:23歳で帰国し、読売クラブの中心選手へ(1990年)
23歳になったカズさんは、日本へ帰国し、当時日本サッカー界をけん引していた読売クラブ(現・東京ヴェルディ)に加入します。
ブラジルで培った経験を武器に、すぐにチームの主力として活躍するようになりました。
ドリブルでの仕掛け、ゴール前での決定力、ボールを収める技術など、当時の日本人選手の中でも際立った存在感を放っていたカズ。
国内リーグで結果を残すことで、“三浦知良”の名前は一気に知られるようになっていきます。
この読売クラブ時代の活躍が、後のJリーグ開幕時に「三浦知良=スター選手」というイメージを確立する土台になりました。
三浦知良の若い頃⑤:Jリーグ開幕の象徴として“キングカズ”へ(1993年)
1993年、日本初のプロサッカーリーグであるJリーグが開幕します。
その中心にいたのが、読売クラブ(ヴェルディ川崎)のエースとして活躍していたカズさんでした。
派手なゴールパフォーマンスや、試合で見せる熱いプレーは多くのファンを惹きつけ、三浦知良は一気に全国区のスターへ。
サッカーに詳しくない人でも「カズ」の名前を知っているほどの存在になっていきます。
Jリーグ開幕時の盛り上がりの中で、三浦知良は“キングカズ”と呼ばれるようになり、日本サッカーの象徴的な存在として認知されていきました。
若い頃のブラジルでの挑戦と、帰国後の活躍が結びつき、日本サッカー史に残るスターが完成していった瞬間です。
まとめ
2025年現在も58歳で現役を続けている三浦知良。
その驚異的なキャリアの背景には、若い頃から積み重ねてきた挑戦と努力があります。
カズがなぜここまで長く愛され、尊敬され続けているのか?
その理由の多くは、この「若い頃」の歩みに詰まっていると言えるでしょう!
